神楽坂 震災復興支援サロン2014

■日時 : 2014 年10 月18 日(土曜日) 13:00~17:00
■場所 : 高齢者施設「神楽坂」1F 地域会議室 (地下鉄東西線神楽坂駅真上、アユミギャラリー向かい)
■主催 : NPO 法人粋なまちづくり倶楽部 (まち飛びフェスタ参加企画)
■目的
被災地の現状を知る(忘れない)ようにします。
神楽坂に関わっている人が、東北でどのような支援活動をしているか、情報交換します。
被災地の人から見て、神楽坂に何を期待するか、どのような交流を希望されているか、伺います。
神楽坂にいる私たちで何ができるか改めて考え、できるところから実行する機会とします。
■プログラム
(1)交流サロン 13:00~17:00
【パネル展示】
神楽坂関係者が東北被災地で活動した内容や現地の状況(写真、図表、ポスター等)の展示
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■パネル出展者
三浦卓也 「気仙沼風待ち地区の歴史的建造物の復旧支援と活用」
渡邉義孝 「被災土蔵を記録する〜記憶としての建築と景観を残すために」
川副早央里 「福島県双葉郡の自治体における震災直後から現在に至るまでの様子」
鈴木俊治 「心が和むコミュニティづくり 福島県復興公営住宅」
「陸前高田未来商店街 仮設店舗の計画、装飾、市場調査支援」(NPO 日本都市計画家協会)

(2)トークセッション 14:00 – 16:00 被災地の現況、復興支援活動レポート
司会:坂本明実 (NPO 粋なまちづくり倶楽部)
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1. 渡邉義孝(建築家 風組・渡邉設計室、日本民俗建築学会正会員、尾道市立大学講師)
「被災土蔵を記録する〜記憶としての建築と景観を残すために」 14:05
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神楽坂駅近くのあゆみギャラリで94年から10年間スタッフとして勤務した。そのころから、神楽坂のまちづくり活動に参加している。津波被害を受けた多くの蔵が残ったが、修復困難であり、費用は高くその確保も難しい。土地の文化を残すことが大切であり、土地の物語を諦めないためにも、せめて解体前に実測して記録する活動をしている。土蔵の中には民具も保存されていることが多い。津波ですべて壊され、残ったのは蔵しかないという街もある。土蔵 石蔵があり、それらを調査して記録している。所有者も一緒に調査し、出荷帳簿なども出てくることがある。石巻は水運で栄えたまちであり、帳簿を調査することで、物流も明らかにされる。
調査方法としては、地元から連絡があると現地に行き、調査して図面と写真を残す。調査後には解体される。気仙沼では、フェイスブックで知り合って調査した例もある。調査していると蔵の棟礼、人形、女性の髪の毛などが出てきて、新鮮に思える。それらは、大抵どこの蔵にもある。気仙沼では船魂様の振興があり、気仙大工の流れを受けついでいる。良質で大規模な土蔵が多数ある。大地震の翌月、4月の地震で倒壊したものもある。幕末の棟礼が出てきたり、伝統に沿って、家の前で成人式の写真を撮ったりもする。福島では、長くはいられない放射能レベルの場所もある。岩手では、地震ではなく治水対策で土蔵が解体された例もある。蔵を残したいが、そう思う人が少ないのが実態。雑誌や新聞でこの調査が紹介されることもあり、これからも活動を続けていく。

2. 福寄 順子 (青年海外協力協会 JOCA)、 保坂公人(五十音設計) 14:20
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保坂さん
福寄さん
「青年海外協力隊経験者による支援活動~復興から地域活性化へ」青年海外協力隊経験者による支援活動について紹介したい。青年海外協力協会は、途上国で協力活動をしたOBで組織されている。協力隊は来年で50 年を迎え、OBの数は4万人に達する。帰国した隊員が登録するJOCA 災害救援専門ボランティアは5,500人いて、行政、ボランティアセンター、学校、仮設住宅に対し、ニーズに応じた支援を行っている。その人たちに対して、日当2000円の支援をしている。活動の拠点は、岩手県遠野市と宮城県仙台市に置いている。活動内容は多岐にわたる。仙台付近で生活している中国人支援のため、中国語がわかるスタッフを派遣したり、理学療法士、エアロビクストレーナー、図書館司書、幼稚園教諭、保育園運営支援、学校の先生補助などを行っている。累計は500人に達し、短期(2週間程度)の派遣が中心である。2年前から復興庁と連携し、職員派遣も行っている。土木建築関係の需要が大きい。釜石スクラムスクールという活動では、仮設住宅で生活する中高生の学習環境サポートを行っている。また、イベントを開催し、「もっと釜石を知ろう」、「もっと世界を知ろう」と、市民を対象に月2回開催している。釜石で活動している海上保安庁の仕事の見学などもある。
遠野市との連携については「ふるさと新生モデル事業」として、遠野を拠点に、緊急支援から地域活性化へつなげ、中山間地の課題解決を図ろうとしている。遊休農地の活用、国際協力(加工米の栽培、マラウイの学校給食提供、外国人受け入れ)、人材育成、地域との協働をポイントとしている。これから海外に行きたい人の研修受け入れや、地域との協働で廃校した中学校の利活用も行っている。
原風景の復活として、40年使われていなかった田んぼの復活も実施した。遠野の土地に農業を再生している。
マラウィでは、学校給食を提供することによって就学率アップを図っており、その研修生受け入れを行っている。
廃校の利活用については、JOCAの事務所をそこにおき、住民との協働で協同で地域活動を行っている。図書館カフェは、明日プレオープンする。ピザ窯作りなども行っている。

3. 三浦卓也(マヌ建築都市研究所・一般社団法人気仙沼風待ち復興検討会)
「気仙沼風待ち地区の歴史的建造物の復旧支援と活用」 14:35
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震災前から、千厩のまちづくりに関わっていたが、気仙沼は訪れたことがなかった。気仙沼は内湾で、過去には大きな津波被害はなかった。帆船の出港に際して待つ風にちなんで、内湾地区は「風待ち地区」と呼ばれていた。被災ご調査したところ、まだまだ古い建物が残っていることがわかり、震災翌年に風待ち復興検討会を組織して活動を始めた。
昭和4年の大火後、義捐金もあり、まちは水産業で栄え、多くの復興建築が建てられた。そのいくつかは歴史的建造物として価値が高く、地元の建築士らによる「風待ち研究会」によって調査が進められ、いくつかが国登録文化財になった。昨年もこの場でこの件について紹介したが、その後はあまり進んでいない。
国文化財になったものは残されたが、その他はどんどん解体が進んでいる。
税金は文化財保護に回らない。所有者には、建物が損壊したまま残っているのがはずかしい 壊させて欲しいという人もいる。そのような状況下で、Save our culture SOC 基金をスタートした。エルメスも寄付してくれ、想定額の半分位の資金が集まったので、応急措置を開始したところであり、その後本格補修を行いたい。
曳き家をして元の位置に修復したものもあり、その費用は海外を中心とした民間募金でまかなっている。
現在、基盤整備にかからない土蔵の修復を進めている。基盤整備にかかる場所が問題であり、復興プランには古い建物について書かれていない。一方、文化財を活かす形で、共同店舗を区画整理のなかで整備しようという例もある。
復興のシンボルとして、以前の町並みを活かした。法律的にも、建築基準法等の適用除外を受けるためには文化財指定を受けることが必要など、ハードルは多数あるが、これからも活動していきたい。

4. 臼澤裕二(うす沢) 「災害対策への疑問符」 14:50
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昨年まで横寺町で和食器店を営んでいた。今は市ヶ谷に移った。大槌出身で、ギター演奏などで復旧支援活動をしている。今日は、内外の支援者に感謝しつつ、災害対策への疑問についてお話ししたい。
不十分な安全対策。ハードに頼りすぎ。14.5m 防潮堤がいいのか?
町役場前で対策会議をしているが、その目の前は海である。防潮堤があることで、逆に安心感が生まれたのではないか。いろいろな経験を踏まえていない。科学技術に頼りすぎではないか。安全対策として、電源や、イベントで集客時の対応も必要。
今回の津波は専門家も予測を誤った。オオカミ少年になってはいけない。情報を共有する必要がある。ハードに頼りすぎで、防潮堤で守れるという錯覚があったのではないか。時間経過とともに、人造物はもろくなることも忘れてはならない。
海から遠いところの公園の造成費用は、無駄ではないか。
災害情報の伝播力も不足していた。いったん逃げたのに、戻って被害にあった人も多い。高齢者、要介護者の避難対策が必要である。
震災後の治安の悪化については、報道されていないが、空き巣、盗難等はあった。
土地権利関係の複雑化による作業遅れが懸念される。悪質団体、個人による復興費用の不正使用も問題。
今後は、コンパクトなまちづくりが必要で、将来のインフラ整備負担増が心配される。高齢化と過疎化の加速によって、年寄りばかりになりかねない。ライブエンターテインメントによるまちづくりを提唱しているが、どのようになるか想像できない、わからない。
先日の火山噴火もそうだが、災害は身の回りにある。災害から学ぶ姿勢を忘れてはならない。
神楽坂とのかかわりについては、大槌には優れた郷土芸能が残っており、できれば神楽坂で郷土芸能を披露したい。遠野は、扇の要に立地しており、復旧に果たした役割は大きい。まち通しで、海側のまちをつないでいく必要がある。
(休憩) 15:05 – 15:15

●パネル展示者よりのメッセージ
「福島県双葉郡の自治体における震災直後から現在に至るまでの様子」
いわき明星大学震災アーカイブ室研究員 川副早央里(かわぞえさおり)

今年も引き続き「東北×神楽坂 震災復興支援サロン」が開催されることを大変うれしく思っております。今回は同日同時刻に、私が所属しますいわき明星大学震災アーカイブ室で「いわきのローカルメディアはどう「東日本大震災」を伝えたのか」というフォーラムを開催しておりまして、残念ながら参加がかないませんが、福島県浜通り地区の震災直後から現在に至るまでの写真パネルを展示させていただきました。これらの写真はいわき明星大学震災アーカイブ室の震災記録の保存事業で収集した写真です。ほとんどの写真は市民の方や役場からご提供いただいたものです。震災記録の保存事業は、阪神淡路大震災や中越地震でも盛んに行われ、東日本大震災の多くの被災地域でも取り組まれています。しかし、福島における震災記録の保存は他の地域とは異なる難しさがあると感じています。
ひとつには、現在も続く被害を記録することの難しさがあります。震災記録というのは震災発生直後の記録に留まるものではありません。むしろ長期化する被災状況や復旧復興の過程を記録していくことが重要です。なぜなら、長期的な視点で災害を捉え、「今」の状況を理解し、「次」来るプロセスを予測し、そしてまた検証することができるようになるからです。さらにそれが被害の全体像を他の地域や後世へと伝えるときの記録にもなります。しかし、現在福島では「今」の被災状況を記録することは容易でありません。なぜなら、時間の経過とともになし崩し的に「復興した」とみなされるようになっている一方で、被害は継続しているからです。「被害が継続している」というのは、単に避難生活が継続しているということではありません。原発事故収束宣言は出されたものの、原発事故が再発する恐怖が消えたわけではなく、また放射能被ばくの恐れもあります。だからこそ現在でも災害が生じ続けているのであり、現在でも約12 万人の方が避難生活を送っているのです。
ふたつめは、目に見えにくい原子力災害の実態を記録することの難しさです。原子力発電所が爆発した写真を残すことはできます。しかし、その事実だけでは原子力災害がもたらした被害の全体像はわかりません。また、放射性物質や放射線は目に見えません。たとえ放射線量の数値を記録したとしてもそれだけでは不十分でしょう。
このなんとも捉えようのないところが、まさに人々を苦しませているのです。そのため、人々や社会が直面している困難や苦しみも目には見えにくく、他の人には理解されにくい部分があると思います。アーカイブ室では現在写真の収集だけではなく証言記録などを集めることで、この目に見えにくい人々の思いを可視化し、伝えていこうと取り組んでいます。今の状況を理解するために必要なのは、知識だけではなく、「想像力」なのではないか。そんなことを感じています。
今回展示させていただいたのは、福島県双葉郡の自治体における震災直後から現在に至るまでの様子です。
避難元の写真も避難先の写真もあります。多くの方に浜通り地区の姿をご覧いただければ幸いです。

(トークセッション 続き)
5. 三浦忠司(神楽坂キーストーン法律事務所・弁護士) 「浪江町支援弁護活動」 15:20
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浪江町支援弁護団の活動についてご紹介したい。
原子力損害賠償について、集団申し立てを行っており、国による審査会で中間指針が出たところである。
原発被害者が東電から賠償を受けることについて、直接東電に賠償請求を行い、金額に不満の場合は国の原子力問題を調停するADR センターに相談するしくみになっている。
東電による、月額10 万円の慰謝料が不足として、浪江町が中心となって、町民の総意を集めて集団申し立てを行ってきた。H22 年5 月に申し立てを行い、今年の春に和解案が出たが、東電が和解案を受託しない状況になっている。
もともとこの集団申立ての支援は、早稲田大学法科大学院の学生、教員などが中心になって行ってきた。私はボランティアとして震災復興支援を行ってきたが、その後に司法試験合格し、H24 末に弁護士登録を行った。出身である早稲田大学で、この件について活動していた日置弁護士の誘いを受け、いっしょに活動するようになった。
活動としては、まず町民ヒアリングによって被害実態報告書を作成し(学術的なもの)、それをもとに賠償額の不足を実証しようとしている。集団申し立てには、町民21,000 人中15,000 人が参加している。
状況は人によって違うが、浪江町特有の状況として精神的苦痛を受けたということがあり、その点は共通ということで集団申し立てで慰謝料増額請求を行っている。月額10 万円は、被害実態を正しく反映していないと考えている。和解案は増額を支持し、東電もそれを尊重すると表明しているが、実施されていない。ADR は和解を強制できないしくみで、ADRセンターも動いており東電側と協議を重ねている段階だが、時間かかっている。15,000 人という人数の多さが、時間を要している原因かもしれない。
被災者は疲れきっている。被災者の声を組み上げて理論化することが求められており、これからも支援していきたい。

6. 大坊雅一(東雲の会事務局長)、松村治(早稲田大学総合人文科学研究センター招聘研究員) 15:35
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大坊さん
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松村さん

「東雲住宅の避難者への心の支援について」
福島からの原発事故による避難者は、山形は減って4000 人になったが、東京には7000 人がいる。都内では江東区が1100 人で最も多く、次に江戸川区、新宿区の襦袢になる。江東区では東雲住宅が多いが、その理由は2011 年1 月に公務員住宅として竣工した後、そこを避難住宅にしたためである。被災者の状況について、浪江町から避難している大坊さんに伺いたい。

Q(松村氏).被災前は何をされていたか。
A(大坊氏).ウナギ屋を経営していた。今は東雲団地の避難者の事務局長を務めている。

Q.避難場所が東雲になる経緯は?
A.3 月11 日夜帰宅し、12 日朝全町に避難命令が出た。13 日一晩は南相馬に泊まり、翌日、子供達2名が東京在住なので、東京に避難した。

Q.東雲での生活はどのようか。
A.避難生活自体は、比較的恵まれていると思う。東京都や江東区の社協が主催して、週2回サロンとして手芸、談話、赤十字によるハンドマッサージなどがある。問題としては、参加メンバーの固定化がある。また、月1 回の清掃活動、近隣公団住宅のお祭り参加などをしている。買い物や生活は便利である。東雲の会は、自治会のようなもので、H23 年9 月に立ち上がった。

Q.避難者の心についてお聞かせいただきたい。
A.賠償が小出しになっており、長期的な生活の見通し立たず、不安である。心の問題は人により違う。高齢者、子供の就学、H28 年3 月の入居期限後はどうなるかなど、様々な問題がある。県外避難者は、地元に帰らないという選択をする人も多い。また、賠償で住宅を求めることができるか、不安がある。故郷は誰もいないまちになっており、どんどん荒廃が進んでいる。まちなかに人がいない。墓参のため、お墓にいるだけである。カラス、猪などは増え、野生の王国のようになっている。

Q.神楽坂との関わりについては、どのようにお考えか。
A.包括力があるまちだと思う。先ほどの大槌でも話題にあがったが、郷土の伝統芸能をこちらで披露したい。だんだんコミュニティ同士がつながるようにしたい(松村氏)

「氷山モデルによる避難者分類」ができる。地域活動に参加している人はごく一部、氷山のトップだけで、その背後には多数の人がいて、水面下のため状況を把握できない人が多い。それらの人たちを上に引き上げることが大切である。
ウェルビーイングを高め、自律的な回復をはかるための4つのポイントとして、以下がある。
外に出て自然とふれあう。
ストレスに対処する力を高め、抱えているストレスの数を減らす。
身近なところから生きがいを見つけて、無為な生活から脱する。
自ら避難者であることにこだわって閉じこもることなく、避難者であることをあえて隠さずに自然な形で地域と関わる。


7. 鈴木俊治(ハーツ環境デザイン代表・NPO 粋なまちづくり倶楽部)
「心が和むコミュニティづくり 福島県復興公営住宅」 15:50
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原発事故後3年半を経過し、仮設住宅での生活が当初の予定以上の長期に及んでいる。住宅の傷みも発生している。その状況に対応すべく、福島県では復興公営住宅の整備を進めようとしている。そのガイドラインとして、「心が和むコミュニティ」づくりに向けた、街区デザインに取り組んでいる。また、コミュニティ相談員による被災者の生活支援も同時に進められている。
復興公営住宅については、県営の賃貸住宅という枠組みのなかで行うもので、入居者の家賃負担、備品の負担等について問題が指摘されている。一方、避難先周辺からは、避難に関する批判的意見も出ている。また、いったん入居後、数年先には、帰還や他地区への自立再建などが進み、入居率が下がることが想定される。
そのような状況ではあるが、被災者は疲れ切っており、少しでも心が和む生活ができるよう、街区デザインを工夫している。その一つが「コモン」を囲む宅地配置で、仮設住宅で築かれたコミュニティやご近所づきあいが維持されるように配慮したものである。入居者に対して上から目線で接するのではなく、自ら進んでコミュニティ活動等に参加できるよう、サポートをしていきたい。
※ なお昨年までのこのサロンで紹介した「陸前高田未来商店街支援」については、NPO 日本都市計画協会で継続的に支援しており、その状況はパネルでご紹介している。

8. 寺田弘 (NPO 粋なまちづくり倶楽部理事長) 「人のいないまちを訪れて」 16:05
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チェルノブイリを訪問したが、事故後も状況は変わらない。子供の声が聞こえない。なぜか?障害のため声が出せない。
富岡町を視察した。見守り隊が街のパトロールを行い、東電社員は清掃活動をしている。復興組合が農地の保全管理を行っている。
住民の希望は、位牌とアルバムを取ってきてというのと、留守宅の冷蔵庫をきれいにしてほしいというものが多い。そうやって落ち着いてくる。
小高では、駅の自転車がそのままになっている。線量は比較的低いので、商売しても良いが、住んではいけない。養蚕を復活し、次の世代に伝えたいという人もいる。
海際の津波で壊れた家は、そのままになっている。そこで車の窓を叩く音がして、振り返っても誰もいない。霊が残っているのではないか。
南相馬では、ソーラー・アグリパークが整備されている。子供たちに電気のメカニズムを知ってもらうことと、次の世代で事業化できるようにしたいと考えている。ソーラーオーナーを増やしたい。
福島支援のNPO 活動に参加している。東海村豊岡海岸から風船を飛ばし、どこまで放射能が広がるか模擬的に実験した。水戸や品川に到達した。
災害を忘れないことが大切で、少しでも関わっていきたい。現政権が原発を再稼働しようとしている姿勢はひどいものだ。あきれるが、あきらめてはいけない。あきらめたら負け。現政権は、防災ではなく忘災になっている。戦いは明るく楽しく続けたい。

●おわりに (司会者)
震災から3 年半が経過した。大きな危機は乗り越えたが、問題は続いており、拡大しているものもある。震災があったことを忘れないで欲しい。世間では震災に関する関心が薄くなっていくが、粋なまちづくり倶楽部では、これからも何ができるか、5年10年と、息の長い活動を神楽坂で続けていきたい。
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