神楽坂 震災復興支援サロン2015

■目的
被災地の現状を知る(忘れない)ようにします。
神楽坂に関わっている人が、東北でどのような支援活動をしているか、情報交換します。
被災地の人から見て、神楽坂に何を期待するか、どのような交流を希望されているか、伺います。
神楽坂にいる私たちで何ができるか改めて考え、できるところから実行する機会とします。
■場所 : 東京理科大学森戸記念館2階 第三会議室
■日時 : 22015年10月18日(日曜日) 13:00 – 17:00
■プログラム
(1)交流サロン
パネル展示 13:00 – 17:00
神楽坂関係者が東北被災地で活動した内容や現地の状況(写真、図表、ポスター等)の展示
(2)トークセッション 14:00 – 16:30  被災地の現況、復興支援活動レポート  

司会:坂本明実 (NPO粋なまちづくり倶楽部)
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このサロンは今年で4回目になり、4つの目的を持って実施している。
・被災地の現状を知る(忘れない)ようにします。
・神楽坂に関わっている人が、東北でどのような支援活動をしているか、情報交換します。
・被災地の人から見て、神楽坂に何を期待するか、どのような交流を、希望されているか、伺います。
・神楽坂にいる私たちで何ができるか改めて考え、できるところから実行する機会とします。
 今日は7名の方にプレゼンテーションをしていただく。パネルも展示してるので、ご覧いただけたい。ではプレゼンテーションをお願いします。

1. 保坂公人(五十音設計)
「震災後の復興状況:特に第2原発周辺と他の地域の違いについて」
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震災後からその事態の大きさに仕事ができなくなった。建築、都市計画の職能が否定された。とにかく現地に行って自分の目でみる必要があると考え、震災直後に東北縦断した。その後も見続ける必要があり、今年も建築関係の専門家4名で東北を訪問した。神楽坂の環境緑化新聞の特派員として訪問した。
全体行程は、初日は高速経由でいわきへ向かい、次に南相馬の除染、帰還準備の取材。次の日は宮古、田老地区。その翌日は南三陸、陸前高田。その後東北沿岸を線量を計測しながら南下した。
初日:いわき市中之作地区。「使ってみんか」プロジェクトを視察した。古民家中心に地域活動を活性化しており、築約200年の民家を自己費用で再生した。
富岡町はいまだに時が止まった状態。震災直後のままになっている。駅敷地内に慰霊碑有り。
楢葉町天神岬ではキャンプ宿泊した。他にはまだ誰も来ていない。
南相馬小高地区ではボランティア組織が集まって庭の清掃、個人宅の周辺整備などをしている。どのように活動すればよいか気を使いながら行っている。木の伐採だけではなく、そのあとのチップ化まで行っていた。
原ノ町は、帰還解除されて人が戻ってきている。東電に対する集団訴訟問題がある。線量は空中では減っているが地面付近では減っていない。それなのに帰還解除は不法ではないかと法廷闘争中。地面付近は線量が高い。雨降ると地面付近に高い線量が計測され、腰の付近とは全く違う。
たんぼでは試験栽培したが動物に食べられてしまった。動物は汚染されたので捕獲して食べることはできない。キジなど動物が歩き回っている。
ある線を境として、線量が全く違う区域がある。
岩手県田老地区の仮設商店街は営業中、田老の港は回復してきた。
宮古の海岸景勝観光地では、観光客が多数いて復興してきている。
釜石は、観光は復興しているがまちは閑散。
陸前高田。盛り土 2mくらいの嵩上げをしている。防災拠点だった庁舎が地面より低い状態。山を削って土砂を運んだベルトコンベアは、つい最近解体が始まった。まちなかでカモシカなど見られる。
女川でも盛り土工事中。駅舎はできた。横倒しになった建物を残すと言うが周囲は盛り土で、どうやって保存するのか。
帰り道では線量高い地域を通過してきた。これからも見続けていかなければいけない。

2. 川副早央里(いわき明星大学震災アーカイブ室)
「地域で災害の記憶を紡ぐ-震災から5年目の課題-」
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早稲田大学の博士課程学生であるとともにいわき明星大研究員として震災アーカイブ作成中。
いわき市の取り組みとしては記録作成、メモリアル公園計画などがある。メモリアルは豊間中学校を検討していが地元反対で中止。震災メモリアル拠点検討会議で検討中。富岡町、福島県でも同様に検討中。
収集資料としては紙、写真、証言記録、書籍などがある。震災直後はそれどころではなかったが、最近認知が拡がった。集めたものはウェブサイトや、震災アーカイブ室で公開している。いわき市では市内の情報収集はある程度できるが、避難指示が出された双葉郡自治体がそれぞれ資料収集することは容易でなく、大学が取り組むことに意義があるのではないか。
制作したパネルを各地で展示、貸し出しもしている。福島では原発関係だけでなく、津波被害も大きかった。いわき市には、いわき市民の地震、津波、原発事故による被災者に加え、市外からの避難者が24,000人いる。異なる被災状況を抱える人が多数いるために、それぞれの置かれた状況について深く知ることは容易でなく、私たちが東京で得ている知識と地元の人の知識が変わらないと感じることもある。いわき市民の被災者と原発周辺地域の被災者がお互いどんな被害を受けたか、今どのような状況にあるのかをパネル展などを開催して共有する活動をしている。いわき市勿来地区は被害もあったがあまり注目されていないため、記録の整理をして地域公民館などで公開している。
震災アーカイブを構築する上では、様々な問題がある。まず、避難元地域の記録、復興プロセス、原子力災害をどう記録したらよいか。目に見えない原子力災害の記録方法としては証言記録などを集めている。また、デジタルアーカイブは限られた人にしか見られない。特に地元の人に見てもらいたいが、高齢者などはインターネットを利用しないので困難。さらに、震災アーカイブスとは何か。それを専門とする分野が確立されているわけではない。いわき明星大学では社会学者が行っており、社会調査での聞き取り調査の技法を使って証言記録の収集に取り組んでいる。
資料収集から活用までの過程は、収集→整理→保存→活用である。アーカイブの社会的意義は、集まったものだけではなくその過程に意義がある。自分が知らない地域、時期の被災状況を知ることによって、空白の記憶を埋めることができる。また、わかりやすい被害だけが被害として認識されてしまう。震災アーカイブは被害の実態を捉え他者の被災体験を理解し、自分を客観視するためのツールとなる。被災者からすれば、「忘れてはならない」「伝えなければならない」という責任感から解放される。
網羅的に記録を集められているわけではないが、「記録」から「記憶」を紡いで災害体験と教訓を次世代につなげていくことが大切と考えている。

3. 日置雅晴(神楽坂キーストーン法律事務所)
「長期化する原発避難、難航する補償交渉」
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浪江町の町民約1万人をまとめてADRによる調停支援を行っている。浪江は汚染状態によってまちが3つに分かれており、それが困難さを生んでいる。町民は全国各地に離散して避難しておりまとまるのが難しい。
海岸部は津波破壊を受けた。一方、津波被害はなくても放射能汚染が酷い地区もある。震災直後から全く片付けられていない家、傷んだ家があり、田んぼの荒廃が進んでいる。
震災後、早稲田大学大学院法務研究科経由で浪江町の住民を支援することになった。
ADRとは裁判以外の紛争解決のしくみであり、簡易迅速な話し合いの仕組みで解決を図る。そのため原子力損害賠償紛争支援センターが設立された。裁判よりは易しいがそれでも容易ではない。自治体がとりまとめて申し立てをすることになり、早大ロースクールの関係者中心に対応してきた。H25.5に申し立てを行った。当初1万人以上であったが最終的には15,546人となった。現在和解交渉中。その間にもどんどん亡くなっていく人がいる。
何が問題か。東電は慰謝料として一人当たり月10万円払っている。それに意義ある場合は訴訟かADRしかないが、個別ではハードル高い。仲介案では月5~8万円増額とした。政府党はそれを妥当と判断し、東電としては真摯に対応すると言いながら、実際は和解受け入れを拒否し続けている。
なぜ東電は認めないか。申し立て人以外への波及を恐れているのだろう。申し立て案を受け入れると総額200億円程度の負担増になる。浪江以外にも複数の集団訴訟や個別訴訟が起こされている。判決は来年秋以降になるのではないか。これまでに、個人では慰謝料増額を認めない判決も出ている。
かなり政治的な問題で、どこで決着させるか、見通しが見えない。慰謝料以外の賠償は解決が進んでいる。

4. 大坊雅一(東雲の会事務局長)、松村治(早稲田大学総合人文科学研究センター)
「福島からの県外避難者の心の理解と支援のあり方」
この1年とこれからの方向 -3つに区分された地域の意味-」
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【大坊さん】
現在の東雲住宅に住めるのはH28年度まで、これから先の住宅をどうするかに関心が集まっている。浪江に戻りたい人は少ない。町外に住宅取得の場合税制上の優遇がなく、不公平感がある。
原子力災害は、災害後の救済措置の立ち上がりが遅い。被災度合が小さい人は賠償金が少ない。元の家を残して新しい家を持つと、その両方の固定資産税を払うのか。
浪江では、大きな被害を受けた住宅は取り壊しが進んでいる。当時新築の家でもすすけてきた。人はいなくても街路灯はつく。不思議な感覚になる。今は、東京に戻ってくると帰ってきたという感覚になる。

【松村さん】
大坊さんは東雲住宅で多様な活動をされている。サロンではみなさん楽しそうだがそこ参加するのは避難者1000人中20人程度と少ない。孤立している人が多い。仮設住宅でもイベントに参加する人はわずか。
氷山モデルが当てはまる。外に出てくるひと(部分)はごく少なく水面下が多い。水面下はウェルビーイングのレベルが低い。
水面下の人に対して、ケアではなく自立的な回復を目指すことが大切。山形市ではウェルビーイング状態を知るためのアンケート調査を実施した。山形、鶴岡、横浜で比較すると避難者のウェルビーイングレベルが低いことがわかった。心のケアからウェルビーイングを高めること、避難者の自立的回復の支援、避難者全体を対象とした支援が必要。それはライフスタイルを変えることによって可能になる。

(休 憩)

5. 鈴木俊治(ハーツ環境デザイン代表・NPO粋なまちづくり倶楽部)
「福島県 復興公営住宅ガイドラインと小川郷地区基本設計」
「気仙沼、陸前高田の近況~防潮堤と地盤かさ上げ工事」
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  原発避難者が居住する仮設住宅問題の早期解消のため、福島県では合計約5,000戸の復興公営住宅(県営賃貸住宅)の整備を進めている。その全体のガイドラインとして、「心が和むコミュニティ」づくりに向けた、街区デザインガイドラインを作成した。それを具体的に適用した基本設計として、いわき市小川郷地区を担当し、現在実施設計が進められ来年度には完成予定である。コモンを囲んだ柔らかなコミュニティ形成と維持を目指したものである。ハードだけではなくソフト的なサポートも必要になる。
先月、気仙沼と陸前高田を訪問した。大規模な防潮堤、地盤かさ上げ工事が進んでいるが、これらは本当に復興につながるのは疑問。守る後背地がない防潮堤や、人が戻るあてがない大規模かさ上げ、区画整理が実施されている。地元や専門家などから多くの批判的意見が出ているが、行政は事業を見なおす姿勢を見せない。巨額費用を投じて、自然を破壊し、将来に負の付けを残すのではないか。

6. 三浦卓也(一社 気仙沼風待ち復興検討会)
「気仙沼風待ちの国登録文化財登録文化財群の復旧を通した歴史文化の復興」
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漁村、宿場町として栄えた気仙沼内湾では、津波で被害を受け多くの建物が損壊した。地盤嵩上げ、海岸沿いの防潮堤工事などで、海とまちが断絶し始めている。地盤が1m沈下し、その分の嵩上げと視線にかからない防潮堤整備の方向とされたが先行き不透明な部分がある。
この地域には和洋折衷の多彩な歴史的建造物が存在していた。代表的なものは国登録文化財になっていたが震災で多くが破損、滅失した。
H24.5 気仙沼風待ち復興検討会が設立された。保存再生活動に関しては、当初は住民理解、市長の理解得られず、住民はこんなものを残すのは恥ずかしい、脱会したい等の意見があった。
その後、国内外からの民間募金などにより国登録文化財の応急措置がされ、あまり恥ずかしい姿ではなくなった。一関、千厩と内湾地区を歴史文化でつなぐモニターツアーも実施した。
地盤嵩上げを行う区画整理設計に時間要したなか、角星店舗については応急措置することになったが、法規、資金の問題があった。法的には準防火地域になるのでその適用緩和必要であり、市の指定文化財にすることで建築基準法の適用除外となりクリアされた。資金問題は海外からの支援金が合計1億集まったが、6棟全部を補修するには不足だった。区画整理の補償金(文化財への配慮)を活用することで、残されていた2階部分を直す補償金を得た。
震災直後、瓦礫撤去で多くの建物が壊されてしまったのはいかにももったいなかった。
文化財を残すだけではなくそれを復興の中でどう使うかが次の課題。ほとんどの建物は店舗だが、ミュージアムとして活用も考えられる。生業、震災遺構として生かしたい。

【気仙沼で三浦さんと一緒に活動している小西さん】
 地元の人たちも、文化財建築を守っていきたいという気持ちが高まってきた。当初は保存再生は無理と思われていたが、復興支援関係者とだんだん仲良くなれたことも、気持ちに変化が生じた一因だろう。
今日の東京新聞に、築地らしさを生かす記事が出た。工学院大の後藤先生とマヌ都市建築研究所で調査したもので、ワールドモニュメント財団関係者と築地まち歩きし、築地らしさを残すことを提言した。ここでも人のつながりが大切だった。メディアに出すことも大切である。
来年には角星商店さんの再興なる予定で、この場でご報告したい。

7. 寺田弘 (NPO粋なまちづくり倶楽部)
「韓国釜山古里原発ツアーに参加して」
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NPO法人ふくしま支援・人と文化ネットワーク主催のツアーに参加した。プサンと九州は距離が75kmと近い。3年前にこのメンバーとチェルノブイリ視察した。悲惨な状況が続いている。
韓国の原発事情は、1974韓米原発協定が締結された。同時期に北朝鮮に対してアメリカがミサイル配備、それに対する北朝鮮の抵抗のひとつが韓国人、日本人の拉致であった。レーガン大統領時代、国防長官らは原発製造企業ベクテルの幹部であり、韓国に賄賂供与して原発建設を推進した。現在23基稼働中であり、プサンでは稼動6基、計画中2基。4月に視察したコリ原発1号機は37年間稼動し、事故続きである。韓国で反原発運動はかつては死刑だったが今では自治体が反対の声上げるようになった。私たちは住民による会食接待を受け、現地新聞では日本から反原発運動が来たことが報道された。
NPOの神田香織理事長は反原発活動を長年継続し、最新作は「ふくしまの祈り」。
韓国の裁判判決で、「公害訴訟で被害者市民に立証を要求することは無理。むしろ企業が無害と立証できない限り無罪と認められない」とされた。これは、最初は日本が言ったことであった。
コリ原発のすぐ近くには住宅があり、事故に近い状況が最近も起こった。
最初アメリカは原発安全と主張したが、無理が露呈してきた。原発近くの765kV送電塔問題は、長年行政は住民意見を無視していたが、住民が抗議の焼身自殺し世論盛り上がり、その後コリ原発停止につながった。
広島被爆2世支援会との交流会にも参加。被爆2世の人たちに被爆被害でているが救済措置がない。やはり原発はいけない。京都反原発活動では、めだかの学校、バイバイ原発3.7きょうとなどに参加した。
現政権の反知性的社会化は大変危険である。私は東京大空襲を経験したが、9.5万人が死んだ(当時6歳)ことに対し、NHKニュースは被害は軽微なりと報道した。そのような状況になりつつある。オリンピック誘致活動で、安部首相は原発はコントロール下にあるなど全く根拠がない発言をした。原発は人類が持つには度が超えている。
韓国で会った人たちは心が豊かでしなやか、粘り強い。マスコミ報道とは違う。

■司会
 皆さん発表ありがとうございました。
一見順調に復興が進んでいるようでも、そうでもなく、かえって混迷の部分もあることがわかった。地元の意見に反する事業もある。神楽坂で被災地について考え、震災を忘れず、情報交換し、私たちに何ができるか考え続けることには意義があると思います。
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